貞心尼は良寛が亡くなった後、その相聞歌を歌集「蓮の露(はちすのつゆ)」として残しました。そして平成3年4月、旧和島村に良寛の里をオープンした際に、ここを訪れる人たちに当時の良寛と貞心の清らかな師弟愛の一端を感じてもらいたいとの思いから、良寛と貞心が歌を詠み交わしながら歩いたであろう、この木村家から良寛の里までの通りを「はちすば通り」と名づけました。
貞心尼は良寛が亡くなった後、その相聞歌を歌集「蓮の露(はちすのつゆ)」として残しました。そして平成3年4月、旧和島村に良寛の里をオープンした際に、ここを訪れる人たちに当時の良寛と貞心の清らかな師弟愛の一端を感じてもらいたいとの思いから、良寛と貞心が歌を詠み交わしながら歩いたであろう、この木村家から良寛の里までの通りを「はちすば通り」と名づけました。