築180年の古民家を移築した地域交流センター。地元素材を活かした郷土料理や、地域の特産品を一堂に集めた物産コーナーに多くの人々が集います。軒下を利用した地産地消コーナーには、地元農家が丹精込めて育てた農作物や季節の山菜が並びます。
築180年の古民家を移築した地域交流センター。地元素材を活かした郷土料理や、地域の特産品を一堂に集めた物産コーナーに多くの人々が集います。軒下を利用した地産地消コーナーには、地元農家が丹精込めて育てた農作物や季節の山菜が並びます。
『良寛の里美術館』の近くに建つお休み処。店内では「布ぞうり作り」や「手編み教室」といった体験教室を定期的に開催する他、「やきもち焼きだんご」などの軽食や、地元特産のガンジーミルクを使用したスイーツが味わえる喫茶コーナーもあります。
良寛と貞心尼の書や詩歌を中心に、文人墨客の作品を数多く展示している美術館。館内には良寛に関するオリジナルビデオが大型スクリーンで観られるビデオコーナーの他、習字や折り紙の体験コーナーもあり、旅の思い出作りに一役買っています。
新潟県出身の菊盛嘉雄氏が長年にわたって蒐集した彫刻・絵画を展示している美術館。オーギュスト・ロダンや、高村光太郎を始めとした20世紀日本の代表的な具象彫刻家15名の作品27点と、絵画11点を鑑賞できます。
「八幡林遺跡」の木簡や墨書土器などの遺物を始め、奈良から平安時代の貴重な歴史遺産および民俗資料を豊富に展示した資料館。
晩年、和島(島崎)の木村家に移り住んだ良寛と貞心尼が美しい師弟愛を育んだという史実にちなみ設けられた小庵。小さな囲炉裏を囲んで歌を詠み合った良寛と貞心尼の清らかな逢瀬や、弟子と供に過ごした貧しくとも安らかな日々が偲ばれます。
風流を愛した良寛の心が伝わる、趣ある平屋造りの茶室。春にはお茶会も開かれ、日曜・祝日にはお茶(有料)をいただくことができます。良寛の里美術館で茶券を販売しています。
良寛と貞心尼が交わした相聞歌をまとめた歌集「蓮(はちす)の露」にちなみ、“はちすば通り”と名付けられた通り。曲がりくねった細い路地には黒い板塀が続き、良寛が晩年を過ごした庵跡や墓など十数ヵ所の史跡が点在しています。
良寛のお墓や托鉢姿の銅像があるお寺。木村家の菩提寺として知られ、木村家、良寛、良寛の弟由之の墓が仲良く並び、毎年6月6日には和島良寛会主催の墓前法要が営まれています。
良寛が子どもたちとかくれんぼをして遊んでいたとされる神社。旧社名は出田神社。島崎の総鎮守であり、「筒粥(つつがゆ)神事」や「六夜祭」などの祭礼が行われています。
越後薬師霊場第8番札所として知られるお寺。毎年7月1日には灸点が行われています。また自ら願って良寛の法弟となり身の回りの世話をした偏澄法師のお墓があります。
弓が達者であることで有名な平安時代末期の武将、那須与一公の地蔵菩薩です。
良寛が74歳で息を引き取るまでの4年間、身を寄せていたとされる木村家。良寛と貞心尼の出逢いの場所でもあり、かつて良寛が住んでいた木小屋の跡には「良寛禅師庵室跡」の石碑が建っています。
木簡や墨書土器が発見され、古代の役所の遺跡と考えられています。出土した資料は膨大な量に達し、越後の古代史を知る上で重要な示唆を与えています。
JR越後線(柏崎―新潟間)の前身である越後鉄道の創業者・久須美家の邸宅。享保2年(1717年)、和の粋を凝らして築かれた日本庭園は、泉石、庭石、樹木の妙を極め、樹間に弥彦山を望むことができます。観覧自由。
根小屋城主力丸慶忠が勧請したと伝えられています。
御館の乱のころ、根小屋城主力丸中務少輔と高森城主高森は、与板城主直江家の家臣として、上杉景勝と奮戦しています。
直江家臣力丸中務が建立したお寺です。
越後鉄道や北越鉄道(現信越線)の創設に尽力した実業家・久須美秀三郎の功績をたたえて建立された像です。
久須美六郎左衛門祐邦が再造営した神社。その後東馬が大正8年に神殿を改築しています。地域外の人も足を運ぶ清らかな湧き水の地でもあります。
日蓮宗の本山。鎌倉時代末期、徳治元年に日蓮上人の高弟六老僧日昭上人が創立。境内には市の指定文化財である二天門(赤門)や木造茅葺の四脚門(黒門)の他七堂伽藍があり、鎌倉時代からの歴史と風格を今に伝えています。
開基500年以上の歴史を持つ乗光寺の尊像に由来する「霊泉」。かつては眼病に効くとされ、治療に通う人もいたと伝えられています。水質にも恵まれ、地元の両高集落坂谷では「井戸神様」の名で親しまれています。
直江家の家臣高森氏の要害地。初代高森中務は上杉家家臣団の与板組御家中として戦国時代より仕え、三島郡高森に居館を構えるほど軍功がありました。2代孫左衛門は会津から米沢に移り、知行を賜り大坂冬夏の陣に従軍しています。
水田の中の小さな森の中にある熊野神社には、常緑樹である椿が周囲を囲うように群生しており、地元の人々から「椿の森」と呼び親しまれています。敷地内には良寛の歌碑もあり、春には深紅の椿の花が咲き乱れます。
鎌倉時代の築城とされる城址。妙法寺や六万部塚と同じく日蓮ゆかりの史跡で雪割草の群生地ともなっており、地元住民グループ「村岡城址の歴史を守る会」による里山の自然を楽しむ遊歩道が整備されています。
オートキャンプ場入り口の脇に位置する滝。島崎川から日本海に注ぐ滝は、幅12m、落差15mあり、白波を立てて豪快に流れ落ちます。
妙法寺二世日成以下歴代住職の墓、風間信濃守の墓、風間信濃守顕彰碑があります。
風間信濃守信昭公の弟、村岡三郎の菩提を弔うために建立されたお寺です。
毎年2月に荒行僧が寒水で身を清める「鬼子母神祭礼大祈祷会」が行われます。